待ちに待った、出産。しかし、出産時に早期胎盤剥離を起こし、35分間の心肺停止状態で蘇生されたわが子と家族の現在も続く、日々の記録です。
2人の兄ちゃんの1年
2008-12-12 Fri 17:59
2007年10月1日。あれから、438日。

搬送の救急車、ほんとに、痛かった。痛みで気を失いそうだった・・・

陣痛と子宮口全開の痛み・・・剥離の痛みもあったのか・・・・

「これは、夢?私は死んでしまうのかな・・・・赤ちゃんは絶対、元気じゃないな・・・」

そんなことをぼんやりどこか頭の片隅で考えていた。

目が開いた時、手術室を出た私は、ストレッチャーに乗っていた。

「私の赤ちゃんは?どこですか?」

「お母さん!!!」兄ちゃんの声だ・・・

兄ちゃんもおとちゃまも泣いてる。。。。なんで???

どうして泣いてるの????


身長50センチ、体重2766グラム。

心肺停止時間は、約35分。みんなが手を止めようとあきらめたとき、動きだした心臓。

帰ってきたはるにゃ〜に触ってあげる?と聞かれた兄ちゃん・・・

「僕は、いい・・・・」   と後ずさりしたという・・・

生後直後

私が、初めて対面したのは、おとちゃまが撮ってきてくれたビデオに映る痛々しい姿。

「なんで?なんで?これは私の話?どうして私なの?なんでこの子なの?」



兄ちゃんと初対面

初めてお兄ちゃんに会えた時、今だかつてないくらいむくんで・・・・

「もうダメかもしれないな・・」「死んじゃうのかな・・・」って思った。

「はるくんは死んじゃうかも知れないから・・・」兄ちゃんによく言ってた。

家ではどんよりして、寝たきりになって、泣いて泣いて・・・死にたい・・

なんて軽々しいこと言ったかも・・

だから、兄ちゃんは私を元気にさせたかった。

兄ちゃんの心配は、私・・・

はるにゃ〜がいなくなることで私が消えてしまうんじゃないか・・・・

私はそれを感じていた。感じていたけど、フォローしてやれなかった・・・

だから、兄ちゃんは一生懸命、兄ちゃんになろうとしてくれた。

弟という自覚もないのに。微々たる動きもないのに・・・

懸命に目の前の現実を小さな体と頭で受け止めて、笑ってくれた。

すべては、私のため・・・私に笑っててほしいから・・・

〜看護師さんと私たち家族の間で交わされた交換日記より〜
兄ちゃんが初めてはるくんと会えた日。日記を書いてくれました。

「10月20日。今日は、はるちゃんにひさしぶりにあえてうれぴかった。
またあえるときがあったらあわせてね。
はるちゃん、ものすごくかわいいー。はやく元気になったらいいな。」




10月28日。初めて家族4人で会えました。初めて、家族で写真を撮った。

初めての家族写真



去年のクリスマスイブ。

数時間だけ、家族4人で過ごした。





はるにゃ〜がおうちに帰ってきて今日で245日目。

病院にいたときの不安定さも入院に至るまでの(って言ってもしないけど・・・)危機もない。

耳元でどんなに泣いても、どんなに叫んでも、手を握っても、ふんでても・・・

まったく反応はなく、1年以上穏やかに・・・ただ眠るはるにゃ〜。

ほんとに、「死」しか待っているものがないのか・・・時々、そう思うくらいに

我が家に溶け込んでいる。当たり前のように寝ている。

病院にいたときなんか、もう想像がつかない。

それでもいつか、離れ離れに・・・なることも想像もつかない・・・・

兄ちゃんは、元気な赤ちゃんを知りません。

元気な・・・というより、動く、目を開ける、手が動く・・・自分で息をしている・・・

それすらしりません。

私でさえ、今だ、わからない。ほんとに、この胎動そのものに動いているのか・・・

目を開けてくれるのか・・ 今度は抱っこできるのか・・・

大きい兄ちゃん。ねんねの兄ちゃん。

2人が兄ちゃんになれますように。

私は11年ぶりに産声を聞けますように。

泣いていて。動いてて。自分で息してて。目を開けて・・・・

もう、それだけで十分かも・・・・・

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